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アルコールの力を借りて「いや、なんでやねん!」と言いたい気持ちをつたない言葉でただ文章にするだけのブログ。

コロナで曲を書かないアーティスト、なんでやねん。

 

政治とか、社会情勢とか、そういったものにたいして音楽で意見するミュージシャンはもう日本にはいなくなってしまったんだね。もっと詳しく言えば、自身の書きつらねたメロディーや歌詞でかなでる音楽で、社会に影響をあたえるほどのミュージシャンがいなくなってしまった。そう言ったほうが真意にちかいかもしれない。

インターネットをかいしたSNSや動画サイトの人気に拍車がかかる中で、テレビすらまともに普及していなかったあの頃。

アコースティックギターエレキギターで、息苦しい社会や謎だらけの大人の立ち居振る舞いたいして疑問をなげかけ、それが少なからず社会に影響をあたえていたはずだ。真島昌利の「俺は政治家だ」はこどもながらに考えさせられるものがあったし、実社会における音楽に興味がない人たちのあいだでも話題にあがっていたから、よく覚えている。

いちばん記憶に新しいのは…と言っても、もう10年ちかく前になるだろうか。斉藤和義というミュージシャンが原発にたいして疑問を投げかけた。

「ずっと嘘だった」

斉藤和義自身の大ヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌である。政治や政治家、利権といったものにたいする直接的に批判する歌詞、いち有名ミュージシャンが「クソ」という言葉をつかい、過去から現在、そして原発事故への直接的な批判だった。

その歌をうたったネットでの生配信中に突然、配信に不具合が生じたことで、日本の闇のチカラが働いたのでは?と想像するに容易な結果だった。あのタイミングでの衝撃的な社会風刺、政府批判、原曲の印象をもろもろくつがえした歌詞の内容に、ネット上でもミュージシャンが斉藤和義に批判的な反応を示していたことを今でも覚えている。

さて、2020年。

日本のみならず世界中のの政治や経済、文化、歴史、その他もろもろ、そのほとんどが新型コロナウイルス感染症(covid-19)によって混乱させられてしまった。

この現状、一国民としては、短期的にも長期的にも2011年の原発事故よりもひどい状況になることは想像にかたくない。

原発事故なんてもちろんあってはならない。ただ、現状はそれよりひどい状況だと言っても言い過ぎではないだろう。

ただ、コロナに対する日本政府の対応はひどいものだっただろう。なんの知識もない一国民としてのかんがえではあるが、2020年を思いかえすと、「あぁ、あのとき、完全に外国との交流を絶っておけばなぁ。島国なんだから鎖国するだけじゃん。」と、そう考えていた。

でも日本政府はそうしなかった。

いや、なんでやねん。アーティスト、なにしてんねん。もっと訴えかけんかい。コロナという過去に例のない新種のウイルスに対して。ただでさえ疲弊していた国民の生活をさらに苦しめるような政治のありよう対して。

いや、なにしてんねん。なんでやねん。